錦山まる『マンガでわかる うつ病のリアル』感想

こんにちは。こまです。タイトル通り、Twitterで話題の本(インスタやフェイスブックはちゃんと見てないので知りません)を読んでみました。

今の私はうつ真っ只中からは抜け出し、自分でも元気と言えるような言えないようなよくわからない状態なのですが、「ああこんな時期もあったなあ」と共感できることが多かったです。

響いたポイント

うつの当事者ほど「こんなに休んだり遊んだりしていていいのか、本当は病気ではなくただ甘えているだけなんじゃないか」と思う、というような話にはすごく共感、安心しました。私もそう思っていましたし、今も生理前や天気の悪い日にひどく落ち込んで何もできないことがあると自分を責めてしまいます。これはどう頑張っても抜け出せない考えなのかもしれないとも思います。でもそういう状況で周りの人からも「そんなの甘えでしょ」「つらいのはみんな同じだからお前だけ休んでないで働けよ」などと言われたらうつが悪化するのは明らかだと思います。

あと民間療法や筋トレ、断薬を勧めてくる人って本当にいますよね。私も「精神科の薬なんて飲み続けてたらやめられなくなるから気をつけなね」的なことを同級生に言われました。20歳とかですよ?ただの大学生。本当に、他の病気で置き換えたら素人が意見するなんてありえないのに対象がうつ病だとよくある話になってします。それだけ世の中の人がうつ病というものについて知識の代わりに偏見を持っているということなんだと思います。

そういうことが減るように、周りの人向けにお願いしたいことを書いているというのがすごく新鮮でした。しかもその説明がわかりやすい。

うつの治療をしているときって、症状自体もつらいけど、周りの理解が得られなくて孤独に感じるのもすごくつらいと思います。それをこの本が少しでも和らげてくれたらいいなあ。私がうつ真っ只中だったときに家族や友人、恋人に読んでもらえたら私の心が少し救われていたのかもしれないなあと思います。

あと、うつ病でも体力と気力があるときに出かければ元気そうに見られるけどそれは続くものじゃないから大変なんだっていうような話もすごく共感しました。私も本当は全然元気じゃないときに「元気そうだね」と言われて「ああわかってもらえない」と悲しくなったことがあるから。てか何よりうつの治療中でもインターンに参加して「コミュ力高い」とほめていただいたことも面接受けて内定もらったこともありますからね。そう簡単に見抜けるものではないですよ本当に。うつ病だってカミングアウトしてもあんまり信じてくれない人もいるぐらい、私は活発に見えるらしいです。家ではよく死んでますけどね。(うつなのに内定もらっていいのかってことは私も悩んでいるのであまり否定しないでもらえると助かります。寛解して元気な状態で入社するつもりではあります。)

発見

人混みが苦手になるのもうつ病の症状の一つだったんですね。というか、それはうすうすわかってはいたけど、同じような人がいて安心しました。私は外出できるようになっても、人混みを前にすると呼吸が苦しくなりゾワゾワするような感覚がありました。人にぶつからないように意識して歩かなければいけないというのもありますが、私の場合は究極のネガティブで「私なんかがこんなところを歩いて他の人の通行の邪魔をしていいのだろうか。早く死んで他の人が動くスペースを作った方がいいんじゃないか」っていう発想に走りがちだったというのもあるかもしれません。今だったらちょっと笑える、ぶっ飛んだ考えだけど(だってその理屈で言ったら全人類がお互いに死にあって滅びる)、その当時はかなり本気で思っていましたね……

文句もあります

ひとつ言わせてください。著者の錦山まるさんも意見はポジティブなものもネガティブなものも欲しいとおっしゃっていたので。

帯の文章、「重度のうつ病になり、5年以上苦しみついに自死を選んだ僕が」って書いてありますけど、これはちょっと誤解を生みやすいんじゃないかと思います。これを普通に読んだら5年以上うつ病で苦しみ続けた結果、自死を選んだというふうに受け取る人が多いのではないかと思うのです。が、実際は多分ちがいますよね?重度のうつ病と診断されて1年半ほど(?)闘病したものの自死にふみきり、運良く失敗し、それから4年ほど治療を続けて今に至る、ということですよね。多分。ちょっとここだけもやもやします。

もしこれが私の読解能力の低さゆえに起きた勘違いだったら、もしくは勘違いですらなかったら申し訳ないですが……

まとめ

おすすめしたいです。はい。どんな人にも読んでもらいたいです。当事者も、家族も、友人も、教師など人と関わる職業の人も、そうじゃない人も。この本で得た知識はいつか読んだ人やその周りの人を救ってくれると思います。

いっそのこと中学校の課題図書とかにしちゃってもいいかも。マンガはもちろん、文章も短くまとめてあって読みやすくわかりやすいです。

うつ病は誰でもなる病気、ちゃんと向き合っているみなさんはえらい、知識のなさと偏見が当事者を傷つけることがある、きっと元気になれる。

どん底まで落ちて、そこからなんとか復活(どころか成長)した人だからこそ書ける、こんなに響く内容なんだと思います。実は私は治療から半年ぐらいで逃げ出してしまったけど、もう一度ちゃんと病院に通って自分と向き合おうかなと思えました。

ありがとうございました。

 

眠れないので文章を書く。

こんにちは。こまです。

干物女とかいう言葉が数年前にはやっていたような気がしますが、ここ数ヶ月の私はまさにそんなかんじです。いや、もしかしたら干物女と名乗る資格もないのかもしれません。ナメクジ?って言うのも必死で生きてるナメクジのみなさんに失礼か。とにかく廃人やってます。

私は今大学4年生なんですけどね、授業が全部オンラインなんですよ。もうそうなったら自分との戦いじゃないですか。先生が提示した資料や動画で勉強して、出された課題をやって、期日までに提出する。いや、無理ですね。ほんとに無理。もともと課題系が半端なく苦手なんですよ。ADHDの特性の、衝動性のせいですかね。目の前の誘惑に飛びついてばかり、やめなきゃと思ってもやめられない、時間があっても現実逃避に走る。多分単位全部落としました。フル落単。あ、いや、卒業研究だけは取れそうというか担当教員が単位をくれそうなのでオールモストフル落単。オールモストオール落単?

なんでもいいか。

やるべきことをやらないで普段何してんの?って思いません?私だけ?だって時間はあるはずじゃないですか。(知らねーよってかんじですよね)バイトはしてないし(うつ病の再発が怖くて挑戦できてない)、家事もほとんどしてない。自分でも自分の行動はあまり把握できていませんが(ここが問題だよね)、多分ずっとスマホいじってますね。ネットで漫画読んだり、YouTubeでいろんな見たり、アマプラでドラマ見たり、ツイッターやったり。常にわかりやすい刺激を求めてるんだと思います。もう3時間も連続でスマホ見てるな、やばいなって思って一旦電源切って置いても、1分後には手を伸ばしてる自分がいて本当にこわい。依存ってやつですかね。スーパーのレジ待ちとか出かけたときの信号待ちみたいなちょっとした時間でもスマホを確認しちゃうもんね。そんなかんじなんでスマホの使用時間は8〜14時間ってところです。10時間切ったらいい方。やばいね。

いやさあ、多分定型発達の人から見たらこんなの言い訳でしかないじゃないですか。私だってただの言い訳だと思いたいですよ。言い訳でしかなくて本当はできるっていうならもうとっくにやってますよ。できないから障害って言うんですよ。

ていうお決まりのくだりは置いといて、気持ちで解決できる問題じゃないなら仕組みで解決しようって話になるじゃないですか。それで『大人のADHDワークブック』(ラッセル・A・バークレー、クリスティン・M・ベントン)っていう本を買って読んでるんです。Twitterで「これはいいよ!」って声を見かけてね。でもねー、こういうタイプの本を読むのも苦手なことの一つなのが問題ですよね。小説だったら4時間ぐらい平気で集中できる私でも、これはちょっと読みづらい。集中が持たない。文字を追いかけつつ全く関係ないことを考え始めるから全然頭に入ってこない。克服する前に自分のADHDみを痛感するという皮肉ですね。読むべきだろうし読んだら読んでよかったって思えそうなんだけど……今日の学びは「衝動性が先延ばしや注意散漫の原因といえる」「自己コントロールはいくつかの要素が複雑に絡み合っているものでありそのうちの何が苦手なのかを認識するところから始める必要がある」ということです。

うーん。早く対処法の部分を読みたいんだけど、順番に読まないといけないっていう思い込みに縛られて飛ばすことができないのは私のASD的な部分なのかしら?めんどくさいっすね。

あとは、具体的な症例を出されて自分も当てはまるなって思うってことは自分のできないことを認めるってことじゃないですか。多分それが精神的なストレスになっているんじゃないかと思います。自分のダメな部分なんてできれば見たくないも考えたくもないからね。まずはそこの壁を乗り越えるところから意識すべきなのかもしれません。自分の不完全さを受け入れる。決して責めずに、ただ自分と向き合う。うーん。言うだけなら簡単っぽいけどさ、こんなにこわいことってある?これができない人が怒られたときに逆ギレとかするわけでしょう?

そうなっちゃうのは「欠点があることはいけないこと」っていう考えがあるからかもしれないですね。「欠点や苦手なことは誰にでもある。あって当たり前。それは得意なこと、チャームポイントと同じくらい人格形成において重要な役割を占める。それは決して悪いことではない。」って認められたら楽になりそうじゃないですか?

例えば私は中学か高校の頃からうつっぽくて、大学で本格的に死にそうになったので精神科通って治療をしていました。そのときは「ああなぜ私はこんな弱いメンタルになってしまったんだろう。他の人は乗り越えられることがなぜ私にはできないのだろう。恵まれた環境にいるのに何をやっているんだろう。」という具合に、病んだ自分を責めていました。そしてさらに病むという悪循環。まあそんな状態から抗うつ剤飲んだり友達に話を聞いてもらったり、Twitterで考えを吐き出したり、過去の嫌な思い出と向き合ったり、みんな生きてるだけでえらいって自分に言い聞かせたりして今はだいぶ回復しました。で、自分に余裕ができたとき、私に相談をしてくれる友人が何人かいました。「こまちゃんになら話せると思った」とか「うんうんってただ聞いてくれるのが嬉しい」とか、私もよくわからないけど誰にでも話せるわけじゃないことを私に話してくれる人がいるということに気づいたんです。そしてそれは私が病んだ経験のおかげじゃないかと思うわけです。自分を責めてしまう思考回路やそれでつらくなる気持ちがわかるから。ただ話をきいてもらうことの安心感を知っているから。これって、イケイケな大学生活を送っていたらできなくないですか?自分のやることに自信を持っていて常に自分を認めて欲しいと思っている人とか、何も考えないでアルバイトと最低限の課題だけやってあとは友達と遊んでばっかりの人とか、まともに病んだことがない人は病んでる人のつらい話って聞くに耐えないんじゃないかと思うんです。まあその人たちの考えは私にはわからないから勝手な憶測でしかないんですけど。

とにかく、それなりにつらい経験をした私だからこそできる話の聞き方っていうのがあるんだなって今は思っています。そしてそれを誇りに思います。自分の大好きな人たちに求められるのはやっぱり嬉しいですし。

たまに、ネガティブな話に引きずられて自分も数時間落ち込むこともありますけどね。あー飲まれたーって思いながらしばらくじーっとして、体力が少し回復したらおいしいものを食べに行きます。ああ、そんな対処ができるようになったなんて、すごいな。一年前は一日中布団の上でもぞもぞしてたのに。こうやってひどかったときのことを振り返ると涙が出そうになりますね。

発達障害の話からうつの話になっちゃったっていうこの無計画さ、衝動に任せた感じがいかにも発達障害ってかんじしますよねー。え?これくらいのことは定型発達でもよくある?

結局、発達障害のことは自分ひとりでは解決できなそうなのでもういちど精神科行って薬を飲もうか考えているところです。効果より副作用の方が気になってやめちゃったけど、抗うつ剤も同時に飲んでたからかもしれないし。このどん底から比べたら効果がわかりやすいかもしれないし。あんまり期待はしない方がいいのかもしれないけど。

そしてうつの方は、もう少し自分の考え方を変えていかないときっとまた再発する(沼にはまる)と思うので引き続き取り組んで行きます。ちなみにこのブログもその一環です。カウンセリングは高いから、自分で自分の考えを書き出して見つめなすきっかけになったらいいかなと。文章を書くには自分でしまっておくより他の人にも見てもらえる場の方がモチベーション上がるし。だからただひたすらに自分の思ったことを書いていくスタイルなので、とても読みづらいかと思います。(ここまで読んでくれた人とかいるのかしら。)ご了承ください。まあブログなんて勝手にやるものだしね。

そんでそんで、今はもううつ病になった自分を責めることはなくなりました。しょーがないよ。生まれつきのものもきっとあるし、発達障害からうつ病とかよくあるパターンだし、自分に無駄に厳しかったから大学のうちにならなくてもいずれ経験することだっただろうし、何より今ちゃんと生きてるし。そしてこの経験が誰かの役に立つならもう文句はないわ。まあ今でもちょくちょく「生きるのメンドクセー」とは思うけどね。

なんとか生きていくつもりでございます。世の中よ、これからもよろしくね。

死にたかった話

死にたいんですか?生きるのがつらくなっちゃいました?将来がこわい?過去に許せない出来事があった?自分が嫌?お荷物でしかないから生きていちゃダメだと思う?

私も生きるのめんどくさいと思う派です。疲れるのもこわいのもイライラするのももう十分。安らかに眠らせてくれよって思う。まあこの文章を書いてるってことは生きてるんですけどね。

私が死にたかったのは自分が嫌いだったからです。

第一志望だった大学入って、ちょっと憧れてた職場で働くことができたけど忙しすぎて勉強が十分にできなくて、仕事内容が自分に合ってなくてミスばかりする毎日で、うつになってもう何もかも放り出したくなりました。留年しないようにちゃんと勉強しなきゃ、せっかく迎えてもらえたんだからちゃんと仕事して貢献して先輩や上司に認めてもらわなきゃっていうプレッシャーで簡単につぶれましたね。特に仕事の方がひどかった。人手不足でやるべきことが山積みで、他の人も忙しそうだからあんまり仕事を頼むわけにもいかず、でも残業ばかりしていても怒られ、先輩はもっともっとスピードあげて自分の仕事まで奪いに来いと言う。いやそりゃパンクするわ。って、今は思えるけど、当時は自分がクズだから、自分の能力が足りないからだ。こんな自分が仕事を任せてもらえるだけでも感謝しなきゃいけないはずなのに。とにかく仕事を片付けなくちゃ。後輩が悩んでいたら相談に乗らなきゃ。同期のグチも私が聞かなきゃ。そしてちゃんと授業受けて自分でも勉強しなきゃ。これらができないのは自分がクズだから。そう思っていました。

まあね、自分の能力の低さも原因の一つではあるけどね。あんだけ色々やらされたら誰でもキャパオーバーになるよ。

まあそうやって何ヶ月か悩み、結局はこのままだと死ぬ、いきなり死んだらどれだけの迷惑がかかるかわからない。それだけは避けたいと思って仕事をやめました。しばらくはしょっちゅう泣いてたな。懐かしい。

私が今生きてるのは、死ねなかったからです。私は挑戦(自殺未遂というやつ)すらしなかった。できなかった。どうやって死のうか考えたけど、多くの人に迷惑がかかる方法しか思いつかなかったから。

例えば、家で首を吊ったら事故物件てことになるから母親に損害賠償の命令が下るでしょう?一回調べてこんな迷惑はかけられないなと思ったからパス。

精神科通ってストラテラはもらってたから「全然効果が感じられないので最大量処方してください」って言って(それでも足りなければ素知らぬ顔で他の精神科に行って同じこと話して処方もらって)、それを飲まないで貯めておいて一気に飲んだら死ねるかなとか思ったけど、そんなことしてストラテラの取り扱いが厳しくなって他のADHDの人たちが生きづらくなっても嫌。勝手に仲間意識持ってるからね。死んだあとに仲間から恨まれるとかつらくね?

あと、走ってる電車に飛び込むのは一番やりやすそう(チャンスが多く他の人が止める余裕もなく自分が一度決心してしまえば終わりそう)だし即死になりそうだから何度もやりそうにはなったけど、そのときの運転手さんに残る心の傷のことを考えたら無理だった。自分の辛さを他の人に押し付けるみたいで。もちろん乗ってる人たちの中にもトラウマになったり商談がうまくいかなくなったり誕生日パーティーに遅れて子供を悲しませることになったりする人がいるかもしれないし。

コンクリートで固められてるタイプの高さのある川とか、歩道橋とか、マンションとかから飛び降りるのもいいかなとも思った。でもさ、そしたら目も当てられない状況になるでしょ?きっと。そんなんを発見してしまう人がかわいそうだなと思ってこれも却下。もし5才くらいの子供が見ちゃったらどうすんの。もう一生もののトラウマでしょ。大人でも変わらないか。

その理屈で言ったら医療関係者なら人の死は見慣れてるかなと思って、オーバードーズした後に自分で病院まで行ってそこで看取ってもらうなんて馬鹿馬鹿しいことも考えたけどそれじゃ助かっちゃう可能性もあるし普通に医療従事者をなんだと思ってるんだって自分にツッコミ入れてやめた。なんの薬飲むかって考えるとまたさっきの問題に戻るしね。

あと普通に、周りの人が悲しむのは嫌だから。家族も、友達も、親戚も、元職場の人たちも。迷惑をかけたくないから生きたくないけど、死んで悲しませるのも嫌。

もちろんこれは私の個人的な考えであって、自殺してしまった人を責めるつもりは全くない。その人たちだって元気だったら上の例ぐらいは考えるでしょう。それどころじゃないほど追い詰められてしまったということだと思うから、その人たちを責めることはできない。「人身事故とかまじ迷惑だから死ぬなら勝手に死ねよ」みたいなことを電車できいてしまったことがあるけど、そういう発言には全く賛成できない。

私は、運がよかっただけ。ギリギリまで行ったけど、一線を超えることはなかった。それは、自分でセーブできる範囲でギリギリとどまれたから。(つらくなったときは、「私は優しすぎて死ねなくてまたつらい思いをしている」なんて悲劇のヒロインぶることもある。)

それでよかったのかは今もわからない。相変わらず親と祖父母のお金を使うだけの存在だし、真面目に勉強に取り組んでいるわけでもない。就職は決まっていても、入社後にちゃんと働けるかはわからない。すぐクビになるかもしれない。友達の相談に乗ることはあるけど、他の友達のストレスの原因になることもきっとある。プラマイで考えたらマイナスの存在な気がしてならない。

なんでそんなんで生きてるのってきかれたら、それしかできないから。諦め?

あなたがお腹いっぱいにご飯を食べてるとき、アフリカでは小さな子供が亡くなっているんですよ、もっときびきび元気に生きてくださいとか言われたら、じゃああなたが私をその子の身代わりになるようなんとかしてくださいよと言いたい。希望や気力、目標はそんな簡単に持てるものじゃない。自分よりつらい人がいるなんてわかってる。自分が世界で一番つらいんだったら逆に開き直って死ぬもん。自分が最悪の状況じゃないからこそ、私は自殺と言う形で周りに迷惑をかける資格もないんだと思ってる。

まあそんなこんなでうつのひどい状態からは抜け出して今はわりと元気ですけどね。ん?突然泣き出すけど元気って言っていいかな?まあいっか。毎日布団から出て何かしらを食べて必要なときには買い物に行ってたまーに勉強もしてる。まあまあ元気だな。

私は「生きたくない」という気持ちからは一生逃げられないのかもしれない。でももうそれでもいいかなと思うようになってきた。

こういう微妙にネガティブな人が他にもいるという事実にも支えられてると思う。この感覚は私だけのものじゃないんだ。仲間は世界中にいるんだって思うと少し気が楽になる。孤独を味わってる仲間がいるという意味で孤独じゃない、みたいな。絶望の中でもひとりじゃないからちょっと頑張れるような気がする。

もし、この文章を、今本当に死にたくて死にたくて仕方がない人が読んでくれたなら、やっぱり生きてほしいなあと思う。その人の状況を知ってるわけでもないし、直接相談に乗ったり養ったりして問題を解決できるわけでもない。でも、つらい状況と戦っている仲間がいる、希死念慮と戦って勝った人がいるという事実に勇気や希望をもらえる気がするから。まあそんなことは知らねえよってかんじですよね。うん。そしたら、自分の思いをちょっと書き出してみるのはどうですか?何も残さずに消えるのってなんか悔しくない?勝手に憶測が飛び交って結局大人たちに都合のいいように解釈されて終わりだぜ?(私がひねくれてるだけ?)

まあいいや。ここまで読んでくれてありがとうございました。お元気で。(もし同じようなことで悩んだ人はコメントを買いてくれたら泣いて喜びます、多分)

ちょっとしんどくない?

こんにちは。お元気ですか。私は全く元気じゃないです。泣いています。

※自分の頭を整理するためだけの文章です。このままだとパンクしそうだからただ吐き出すだけ。多分読んでもタメにはなりません。

なんかね。私さ、ADHDと若干のASDて診断もらってて、コミュニケーションとか自己管理が致命的にできないんですよ。いや、コミュニケーションは致命的っていうほどではないかもしれない。変わった人とは言われるけど一応友達はいるし、困ったときに私を相談相手に選んでくれる子も何人かいるから。でも、仕事になると本当に無理。相手に質問することも何か指示や説明をすることも、大事な部分をすっ飛ばしてしまってうまくできない。それを気をつけるとテンパりすぎてもっとうまくできなくなる。

ほんと、無能なんですよね。でもきっと「そんなん大したことないだろ努力でなんとかしろよ」って考える人もかなりいるんでしょう。

ていうかそもそも、多分関わってきた人の大半は私が無能だとか思ってないんじゃないかな。一緒に仕事をしていた人たちはちょっと思ってるかもしれないけど、それは数人だし他の人のミスなんて気にしてられないっていう状況だったからその人たちすらもう忘れてるかもしれない。

私はIQはちょっと高めらしい(信じてないけど)のでいつも「よくできる子」って見られてきた。すごいよな。こんなに生きるのが下手くそなやつが優等生キャラって。どういうこっちゃ。ただ、田舎の少ない子供達の中ではちょっと勉強ができただけ。大学入ってみれば私ぐらいどうってことないし、これからはテストができればいいなんて甘い世界から、姿勢や努力、それによってもたらされた結果がものを言う世界。私は結果を出すほどの努力ができない。というか、努力さえしていればまだ認めてもらえる可能性もあるけどそのレベルの努力もできない。

ずっとそうなんだよもう。私が所属している大学はまあ有名と言えるかなっていうところ。Fランて言うかそこそこのレベルっていうかは人による。そこに受かったのは多分ポテンシャルと運のおかげ。まじで勉強足りてなかったもん。受験期もずっと病んでて。「どうしてこんなクソみたいな高校に来てしまったんだろう。どうしてこんなバカばっかりのところでも自分はちゃんと勉強できるなんて思っていたんだろう。」ってずっと自分を責めて病んでましたね。正確に言うと、「まじみんなうるさすぎる。勉強しないなら学校来んなよ」って思って、そう思う自分が嫌で、認めたくなくて全部自分のせいにする姿勢を取ってた。なんか変だよね。自分で自分にかっこつけてるみたい。全部バレてるのに。見えてるのに見ないふりなんかしてさ。自己否定に走って自己嫌悪におぼれて病んで勉強もまともにできなくなるって本当にバカバカしいな。まあそれで現実逃避するしかできなくて映画見たり英語の本を何冊か読んだりしてたらセンターの英語だけはできるようになったけど。

受験に失敗すればよかったのかなとも思った。18才で挫折してポテンシャルだけではどうにもならないんだって嫌というほど実感したら私も変われるんじゃないかって。定期テストの時も同じようなこと考えたわ。ずっと勉強から逃げ続けて、いつもギリギリで単位取って留年も免れてここまでやってきたけど、どっかでボロボロ単位落としたり留年したりすれば懲りて変われるんじゃないかって。そんな簡単じゃねーよな。

実際今、オンライン授業になったおかげでほぼフル落単だけどただひたすらに自信をなくしてるだけだし。情けないなあって思うだけで行動には移せない。移せないじゃねーよ。自分でやるだけだろって思った人はここでもう読むのやめてもらった方がいいと思う。とかいう自分が一番思ってるけどな。

あーもうわけがわからないわ。ただひたすらに自分が情けない。何もできないじゃないか。なぜか私のことを頭がいいと言ってくれる人は何人かいるんだけど。そんなんなんの役にも立たない、中途半端なポテンシャルだ。なにかを生み出す努力ができる人になりたかった。これからなれるものだろうか。

なんかもう色々めんどくさい。ご飯を食べること以外全部めんどくさいような気がしてくる。(最近はご飯すらさぼってるから1日1食か2食しかとってないわそういえば。)疲れてしまったよ。

でもみんな何かしらの悩みや問題を抱えているはずで。身近な人をなくした人もいるだろうし、住む家を失った人もいるだろうし、外に出ることがおそろしいという人もいるだろうし、事故で人の命を奪ってしまった人もいるだろう。そういうことと比べたら私の悩みなんかちっぽけなのかもしれない。でももう全部投げ出したい。(みんなで死んで世間をおどろかそうぜ的な活動に参加するほどではないけどな。誘ってくれるなよ。)みんな生きててすごいよ。もう。ありえないぐらい素晴らしいよ。言葉じゃ足りないが行動で表せるわけでもないな。どうしたらいいんだろう。わかんないや。

わかんないけど私は生きるしかない。それがいつまでかもわからない。病か事故か事件かわからないけどいつか終わりは来る。それまではなんとか耐えるしかない。耐えるなんていう受動的なものじゃなくて攻めの姿勢になれたら何か変わるだろうか。当分無理そうだから考えるだけ無駄か。でも考えるのをやめていいのだろうか。

結論も出せない。

過去にとらわれてるなーって話

こんにちは。こまと申します。名乗るほどのものでもありませんが名乗らないのも失礼かと思いますので名乗りました。

いやあ、最近気づいたんです。私は過去にとらわれてばかりで今と未来にあまり目を向けられていないと。

自分でそう思ったきっかけは、内定者懇親会とかいうやつです。企業が、内定者に対して提供するセミナーみたいなやつで、内定者が将来とか仕事への取り組み方を考えるきっかけになったり内定者同士(未来の同期)が仲良くなったりすることを目的としています。多分。

それで、その一環で人事部の人との懇親会があったんですよ。質問ができるってきいたとき私が考えたのは面接についてのことでした。

「あの質問の意図はなんだったんですか」とか「決め手とかありましたか」とか。自分に自信がないから私の強みや他の人より目立つところなんかをききたかったんですね。

でもいざ始まったら周りの人がした質問は入社後のことばかりでした。「リモートワークの実施状況ってどんな感じですか」とか「出社するときの服はどうしていますか」とか、「雰囲気はどうですか」みたいなね。

なんかもう、違いを見せつけられた気がしましたね。(勝手に思ってるだけ)

将来のための場だから将来のことを質問するのが当たり前なんだけど、私にはその発想が全然なかったんですよ。会社のことは説明会とかそれまでの懇親会でわかったような気になっていたっていうこともありますけど。いやー、私の中の(一般的には当たり前でない)当たり前に気づくとびっくりする。

自分の思考を振り返ってみても、過去のことばかり考えているような気がします。

高校生のころはあれが嫌で、これはよかった。もっとこうすればよかった。

バイトの先輩のあの言動だけは許せなかった。いや、あれもこれも許せないな。あの人もこの人も。

そういえば前にこんなことがあったな。あれは今の私の考え方にも影響を与えているようだ。

なんていった具合です。

多分、いつの間にか過去のことばかり考えるようになっていて、今を消化することを忘れてしまったんじゃないかと思います。今のことをちゃんと味わったり取り組んだりしないから、感情が行き場をなくして留まってしまう。感情って押さえ込んだり無視したりすればするほど無意識下で増大していくものらしいですね。どんな感情でも、しっかり向き合って泣いたり笑ったりして発散させた方が健康的らしいです。あー、もっと早く知りたかったなあ。

感情と向き合うのは今からでも遅くないと思って、ノートに書き出してみても、本当にあれやこれやとわんさかエピソードが出てくる。いつまでやったら私はすっきりするんだろうか。もちろんこの文章も発散の一環です。はい。手書きよりもタイピングの方が早いし疲れないから便利なんですよね。(これをブログとして世間に出す意義というものはあまりありませんが。自己満というやつでしょうかね。誰かが前を向く役に立てたら嬉しいですけどそんなに内容はありませんからね。)

ま、これからも自分と向き合う作業はしばらく続けてみます。見たくなかった自分も見ることになるからちょっと苦しいけどね。やらない方が苦しくなるってことはもうわかってるから、頑張ります。

ぼやき

どうもこんにちは。

Web授業を受けなければならないはずなのに毎日ぼやぼや過ごしている女子大学生です。

人の集中力ややる気は環境に作用されるということをひしひしと感じています。ひとりじゃ何にも進まないし取り組むことすらできない。本当にくずだなあと落ち込んでさらにやる気がなくなるという悪循環。うー。つらい。

課題に追われているというか、積み上がって山となった課題に取り囲まれているような状態ですね。しかもその課題の大半は期限が過ぎているから諦めもあってさらにやる気がなくなるという。期限を過ぎていても自分のためにも単位のためにもやらないよりはやった方がましということはわかってはいるんですけどねー。

これは発達障害のせいなのか、そうじゃないただの言い訳なのか。私にはわからないしこの世界の誰にもわからないのではないかと思う……

でもだ、もしどちらなのかわかったところで私はどうするんだろうか。

発達障害の特性だからどうしようもない。もう諦めて一生廃人として生きていこう。

これは怠けだ。頑張ればできるはずだ。やれ。ひたすら自分に厳しくしてやるんだ。

こんなふうに考えるのか?果たしてこれらの考え方が何かポジティブな影響を生み出すのか?

答えは否だと思う。

発達障害だからって働くことを目指しもせずに放棄していいわけでも、安楽死が認められているわけでもない。(私の場合は)結局苦手なことをそれなりに補って自分なりのスキルを身につけて社会でなんとか生きていけるようにならなければならない。(あ、私はストラテラコンサータを飲んでいたけど求める作用よりも副作用の方が目立っていてやめてしまったから言えること。発達障害(疑惑)だけど薬を飲んだことがないという人は病院に行って診断受けて必要なら飲めばいいと思う。)

そしてこの課題の山が怠けの賜物だったところで、怠けている自分を責めたところで怠けは治らない。落ち込んでさらにやる気がなくなってまたうつ病が戻ってくるだけだろう。

 

だからだな。やっぱり自分を受け入れるところから始めないといけないと思うのだ。自分の無意識にある考えに気づいて、それが生きづらさの原因になっていそうなら取り除いたり矯正したりする。

理由はどうであれやることは変わらない。よくないことをなくすように、いいことを増やすように。仕組みを工夫したり考えを整理したり周りに手伝ってもらったりと、やり方が色々あるだけ。

ほえー。仲良くしようね、私。

ふきとり化粧水で肌が変わった話

こんにちは。こまです。

タイトル通り、毎日のスキンケアに拭き取り化粧水を加えたらお肌がすべすべになったので少し語ります。

拭き取り化粧水とは、洗顔後、何をつけるより先に、コットンにこれをつけて顔をさっと拭くと余分な角質(余分じゃない角質なんてあるのか?)を取り除くことができ、邪魔がなくなる分そのあとのスキンケア用品の美容成分や水分が肌に吸収されやすくなるというものですね。ざっくりですが。

私はずぼらかつ美容意識が低めであるため、ずっとすっぴんで生活をしています。が、大学生活も後半に入っているのにこのままでいいのか?と思ったのがきっかけでした。私が化粧を日課とできないのは、よく考えたら化粧に対してネガティブなイメージがあったからでした。敏感肌っぽいところがあり、何日か続けて化粧をするとニキビができたり肌がガサガサしたりしてしまうんです。

だから肌にやさしいベースを買ったら毎日お化粧することも夢じゃないかもしれない!と思い、美容系に強い友人と一緒に百貨店の化粧品コーナーに行き、クリニークなら肌に優しそうということで相談してみました。そこで、化粧で肌が荒れるのは化粧品が合っていないのではなく肌の状態がいまいちだからではないかという指摘を受けました。

そこでおすすめされたのがクリニークのクラリファイングローション(ふきとり化粧水)でした。カウンターでは手の甲でテストしてくれたのですが、実際、これで拭き取ったあとと何もしていない状態では美容液の吸収具合が全然違ったんですよね。これはすごい!と思ってその場で買ってしまいました。確か1ヶ月分で三千円弱だったので安くはないですね。でもこれで肌が変わるなら!と期待して買いました。


 

結果、確かにすべすべになったんですよ!一生懸命洗っても保湿してもなんとなくザラザラしていた私のほっぺが!なかなかの感動でした。

ただ、クラリファイングローションはベストコスメ大賞?とか受賞していて、とても評判のいい商品なのですが、アルコールが強めに感じました。すーっとします。これこのあとに何を塗っても帳消しになるんじゃね?と思ってしまうぐらい。(そんなことはないんですけどね。)あとは目にしみました。目のまわりにはつけないでくださいと書いてあるからそうしたのですが、なんか蒸発してる分なのか、空気から刺激がくる感じがしました。

なんか高いのにこの使用感ってあんまり嬉しくないなーと思って最近買って使い始めたのがネイチャーコンクのふきとり化粧水です。赤いパッケージの、千円弱で買えるものです。私は近所のマツモトキヨシで買いました。(わかりやすくなるといいなと思ってリンクを貼っておきますがこれも一応アフィリエイトで私が楽天ポイントをゲットすることになるかもしれないので気にくわない方は他から購入してくださいね)

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これもほっぺたがつるつるのすっべすべになります。ずぼらな私は朝の洗顔の代わりにもしています。アルコールが入っていないため刺激がなくとても使いやすくていいです。あと口の部分が、クリニークのはペットボトルみたいな形状でドバッと情け容赦なく出てくるので使いづらかったのですが、こちらは一般的な化粧水によくある形というか、ちょびっとしぼりたて生しょうゆのボトルに似たような形(要するに出す量を調整しやすい形)でそれもいいです。毎日使うものとなると細かいことでもけっこうなストレスになりますからね。

説明としては言葉が足りなくて申し訳ないですが、洗顔料とクレンジングは何を使っても大して変化を感じられなかった私でもはっきりとわかるぐらい肌の質がよくなったので、なんとなーく今の肌が気に入らないという方にはぜひ試していただきたいです。

ただ、ずっと気になっている鼻まわりの毛穴づまりや黒ずみは消えていません。今のところ。これどうしたらいいんだろ。バームタイプのクレンジングもファンケルのマイクレも使ってみたけどやっぱりすぐにわかりやすい効果が表れるものではないのかな。これ一生の悩みだと思う。

ではこのへんで。