眠れないので文章を書く。

こんにちは。こまです。

干物女とかいう言葉が数年前にはやっていたような気がしますが、ここ数ヶ月の私はまさにそんなかんじです。いや、もしかしたら干物女と名乗る資格もないのかもしれません。ナメクジ?って言うのも必死で生きてるナメクジのみなさんに失礼か。とにかく廃人やってます。

私は今大学4年生なんですけどね、授業が全部オンラインなんですよ。もうそうなったら自分との戦いじゃないですか。先生が提示した資料や動画で勉強して、出された課題をやって、期日までに提出する。いや、無理ですね。ほんとに無理。もともと課題系が半端なく苦手なんですよ。ADHDの特性の、衝動性のせいですかね。目の前の誘惑に飛びついてばかり、やめなきゃと思ってもやめられない、時間があっても現実逃避に走る。多分単位全部落としました。フル落単。あ、いや、卒業研究だけは取れそうというか担当教員が単位をくれそうなのでオールモストフル落単。オールモストオール落単?

なんでもいいか。

やるべきことをやらないで普段何してんの?って思いません?私だけ?だって時間はあるはずじゃないですか。(知らねーよってかんじですよね)バイトはしてないし(うつ病の再発が怖くて挑戦できてない)、家事もほとんどしてない。自分でも自分の行動はあまり把握できていませんが(ここが問題だよね)、多分ずっとスマホいじってますね。ネットで漫画読んだり、YouTubeでいろんな見たり、アマプラでドラマ見たり、ツイッターやったり。常にわかりやすい刺激を求めてるんだと思います。もう3時間も連続でスマホ見てるな、やばいなって思って一旦電源切って置いても、1分後には手を伸ばしてる自分がいて本当にこわい。依存ってやつですかね。スーパーのレジ待ちとか出かけたときの信号待ちみたいなちょっとした時間でもスマホを確認しちゃうもんね。そんなかんじなんでスマホの使用時間は8〜14時間ってところです。10時間切ったらいい方。やばいね。

いやさあ、多分定型発達の人から見たらこんなの言い訳でしかないじゃないですか。私だってただの言い訳だと思いたいですよ。言い訳でしかなくて本当はできるっていうならもうとっくにやってますよ。できないから障害って言うんですよ。

ていうお決まりのくだりは置いといて、気持ちで解決できる問題じゃないなら仕組みで解決しようって話になるじゃないですか。それで『大人のADHDワークブック』(ラッセル・A・バークレー、クリスティン・M・ベントン)っていう本を買って読んでるんです。Twitterで「これはいいよ!」って声を見かけてね。でもねー、こういうタイプの本を読むのも苦手なことの一つなのが問題ですよね。小説だったら4時間ぐらい平気で集中できる私でも、これはちょっと読みづらい。集中が持たない。文字を追いかけつつ全く関係ないことを考え始めるから全然頭に入ってこない。克服する前に自分のADHDみを痛感するという皮肉ですね。読むべきだろうし読んだら読んでよかったって思えそうなんだけど……今日の学びは「衝動性が先延ばしや注意散漫の原因といえる」「自己コントロールはいくつかの要素が複雑に絡み合っているものでありそのうちの何が苦手なのかを認識するところから始める必要がある」ということです。

うーん。早く対処法の部分を読みたいんだけど、順番に読まないといけないっていう思い込みに縛られて飛ばすことができないのは私のASD的な部分なのかしら?めんどくさいっすね。

あとは、具体的な症例を出されて自分も当てはまるなって思うってことは自分のできないことを認めるってことじゃないですか。多分それが精神的なストレスになっているんじゃないかと思います。自分のダメな部分なんてできれば見たくないも考えたくもないからね。まずはそこの壁を乗り越えるところから意識すべきなのかもしれません。自分の不完全さを受け入れる。決して責めずに、ただ自分と向き合う。うーん。言うだけなら簡単っぽいけどさ、こんなにこわいことってある?これができない人が怒られたときに逆ギレとかするわけでしょう?

そうなっちゃうのは「欠点があることはいけないこと」っていう考えがあるからかもしれないですね。「欠点や苦手なことは誰にでもある。あって当たり前。それは得意なこと、チャームポイントと同じくらい人格形成において重要な役割を占める。それは決して悪いことではない。」って認められたら楽になりそうじゃないですか?

例えば私は中学か高校の頃からうつっぽくて、大学で本格的に死にそうになったので精神科通って治療をしていました。そのときは「ああなぜ私はこんな弱いメンタルになってしまったんだろう。他の人は乗り越えられることがなぜ私にはできないのだろう。恵まれた環境にいるのに何をやっているんだろう。」という具合に、病んだ自分を責めていました。そしてさらに病むという悪循環。まあそんな状態から抗うつ剤飲んだり友達に話を聞いてもらったり、Twitterで考えを吐き出したり、過去の嫌な思い出と向き合ったり、みんな生きてるだけでえらいって自分に言い聞かせたりして今はだいぶ回復しました。で、自分に余裕ができたとき、私に相談をしてくれる友人が何人かいました。「こまちゃんになら話せると思った」とか「うんうんってただ聞いてくれるのが嬉しい」とか、私もよくわからないけど誰にでも話せるわけじゃないことを私に話してくれる人がいるということに気づいたんです。そしてそれは私が病んだ経験のおかげじゃないかと思うわけです。自分を責めてしまう思考回路やそれでつらくなる気持ちがわかるから。ただ話をきいてもらうことの安心感を知っているから。これって、イケイケな大学生活を送っていたらできなくないですか?自分のやることに自信を持っていて常に自分を認めて欲しいと思っている人とか、何も考えないでアルバイトと最低限の課題だけやってあとは友達と遊んでばっかりの人とか、まともに病んだことがない人は病んでる人のつらい話って聞くに耐えないんじゃないかと思うんです。まあその人たちの考えは私にはわからないから勝手な憶測でしかないんですけど。

とにかく、それなりにつらい経験をした私だからこそできる話の聞き方っていうのがあるんだなって今は思っています。そしてそれを誇りに思います。自分の大好きな人たちに求められるのはやっぱり嬉しいですし。

たまに、ネガティブな話に引きずられて自分も数時間落ち込むこともありますけどね。あー飲まれたーって思いながらしばらくじーっとして、体力が少し回復したらおいしいものを食べに行きます。ああ、そんな対処ができるようになったなんて、すごいな。一年前は一日中布団の上でもぞもぞしてたのに。こうやってひどかったときのことを振り返ると涙が出そうになりますね。

発達障害の話からうつの話になっちゃったっていうこの無計画さ、衝動に任せた感じがいかにも発達障害ってかんじしますよねー。え?これくらいのことは定型発達でもよくある?

結局、発達障害のことは自分ひとりでは解決できなそうなのでもういちど精神科行って薬を飲もうか考えているところです。効果より副作用の方が気になってやめちゃったけど、抗うつ剤も同時に飲んでたからかもしれないし。このどん底から比べたら効果がわかりやすいかもしれないし。あんまり期待はしない方がいいのかもしれないけど。

そしてうつの方は、もう少し自分の考え方を変えていかないときっとまた再発する(沼にはまる)と思うので引き続き取り組んで行きます。ちなみにこのブログもその一環です。カウンセリングは高いから、自分で自分の考えを書き出して見つめなすきっかけになったらいいかなと。文章を書くには自分でしまっておくより他の人にも見てもらえる場の方がモチベーション上がるし。だからただひたすらに自分の思ったことを書いていくスタイルなので、とても読みづらいかと思います。(ここまで読んでくれた人とかいるのかしら。)ご了承ください。まあブログなんて勝手にやるものだしね。

そんでそんで、今はもううつ病になった自分を責めることはなくなりました。しょーがないよ。生まれつきのものもきっとあるし、発達障害からうつ病とかよくあるパターンだし、自分に無駄に厳しかったから大学のうちにならなくてもいずれ経験することだっただろうし、何より今ちゃんと生きてるし。そしてこの経験が誰かの役に立つならもう文句はないわ。まあ今でもちょくちょく「生きるのメンドクセー」とは思うけどね。

なんとか生きていくつもりでございます。世の中よ、これからもよろしくね。