ドラマの一気見がやめられません

こんにちは。こまです。

ここ数日間予定があり、今日が久しぶりに何もない日という感じで廃人をしておりました。朝から夜まで外出するっていうのは私にはかなり負担の大きいことで、その後には疲れによる軽い病み期がやってきました。

身体の不調から心も不調になるのは当たり前のことだから自分を責めすぎないようにって自分で意識できたのが今回のよかったところですね。成長したな。(疲れていなくてもいつでも病んでるような気もするけどまあなんでもいいのさ。)

で、病んだときにはのめりこめる運動がいいとかいいますが、私にはそんな気力はなかったので今日はドラマに逃げてみました。うつが本当にひどくてひどくて人生のどん底だったときには映像をみることもしんどいと感じましたが、ご飯を食べるぐらいの元気があれば集中して見られるタイプみたいです。私は。

で、今日見たのは「凪のお暇」です。テレビで放送していたときに母が見ていて、実家でちょびっと見て面白そうだと感じて気になったのがアマゾンプライムビデオで見放題になっていたので再生してみました。ふふふ。他にもリメイク版の「東京ラブストーリー」とか「カルテット」とかあって気になっているんですけど、今の私にはこれがいいかなと直感で選びました。

で、面白いんですよ。なんだろ、キャラクターが濃いしゴンさんの笑顔が素敵だし凪ちゃんの頭の中がぐるぐるしてるときの描写で笑ってしまう。普通に声を出して笑いました。「ふふっ」って。

そんなかんじで4話を一気に見たところで、今休憩もかねてこれを書いているところです。

だってさ、もうすぐ夜中の2時になるんですよ?しかも1話あたり45分だから3時間もずっと見続けてたってことですよ?うーん、全部で何話あるんだ?10話か。

あと6話、一気に見るとしたら4.5時間?見終わるのは6時半ごろになるわけですね。

うーん。もちろん、続きは気になるしめっちゃ見たい。終わり方はうっすら知ってるけど最後まで自分の目で見届けてすっきりしてから寝たい。

でも私は生活リズムを整えたいと思っていたんじゃないのか。ここで自分から夜更かしの沼に飛び込むなんて許されるのだろうか。そしてドラマばっかり見てるせいで今日まだお風呂も入ってないしね。(正直、一日中引きこもってるとエアコンのおかげで大して汗もかかないし埃にまみれるわけでもないしお風呂に入りたいという気持ちにならない。基本がめんどくさがり屋なもんで。)

うーん、ダメとわかってても誘惑にあらがうってすごく難しいですよねー。しかも今の場合は完全なダメじゃないから余計。明日の予定は午後からちょびっとだけだから、別に朝寝てもつらくならないんです。そしてもう2時だし今から寝るなら6時半に寝るのと大して変わらないんじゃね?っていうぶっ飛んだ思考にもなる。

どうしようか。ブログ書いたら心が決まるかなって思ったのに全然決められません。

あれだな、今は「ダメだと思うほどやりたくなる」現象にはまってるのかもしれません。「やらなきゃいけないと思うことほどやりたくなくなる、手をつけられなくなる」現象と同じですね。

ということで、やっぱり続きを見ます。途中で眠くなったら寝よう。全部見ちゃって朝になったらそれはそれで仕方がない。朝方に寝るのも嫌いじゃないしな。(これも原因の一つなのか、それとも自分を正当化しようとして好きなのだと思い込もうとしているのかは定かではない。今度じっくり考えてみたい。)

ほんと、前にもどこかで書いたかもしれないけど自分のことって本当にわかりませんね。わからないし、手に負えない。どうにもできない。過去と他人は変えられないって言うけど、自分のこともそう簡単には変えられませんよね。(ドラマの中の慎二を見ててもそう思います。)

とりあえず私は今「自分を責めないこと」を目標にしているので、ドラマで夜更かしをしたとしても、こうやって一呼吸いれて自分を観察しようとしたところを褒めます。よしよし。頑張ってるじゃないか。

私は素晴らしい人間ではありません。でも素晴らしい人間である必要もありません。ただ生きていればいいはずです。なんでも頑張れたらそれは素晴らしいけどそうじゃなくてもいいはずです。

わーい。続き見よう。皆さんもぜひ。

転院します

こんにちは。こまです。

最近あんまり発達障害についての文章を書いていなかったような気がしたので少し。

タイトル通り、転院することにしました。ここ半年ぐらい通院から逃げていたので転院と言ってもいいものかわかりませんが。

通院をやめてしまったのは自暴自棄になってもうどうにでもなれと思っていたことが中心だと思っていたのですが、よく考えたら私が持っている病院への印象の悪さも原因のひとつでした。(あとどうしても献血がしたくて薬を飲みたくなかったというくだらない理由もあります。)

病院のスタッフさんも先生も悪い人ではなかったのですが、なんとなく居心地が悪いし先生と話しても悩みが解決したというような気はしなかったし、先生とスタッフさんの連携が悪くてストレスになることがありました。あと、先生にカウンセリングを受けたいと言ってもなぜかグループワークの方を勧められてカウンセリングは受けさせてもらえないということもありましたね。

ストレスを感じた時点で、勝手な断薬なんてしないで正式に手続きを踏んで転院すればよかったのにと今は思いますが、まあその時は自分が感じているストレスを認識することもできていなかったので仕方がないですね。

で、薬をやめてからわりと調子がよくなってしばらくは元気だったのですが、大学の授業が全部オンラインになったことで状況は変わりました。もう、課題の提出ができない。ひとりで家で勉強することが壊滅的に苦手な私はほとんど全部の単位を落としました。最初の課題しか出せなかった……

それでいて勉強しないで遊んでばかりいることに罪悪感は覚えるので夜になっても一日を終わらせたくなくてスマホをいじり、朝方眠るようになるという、完全な廃人生活にはまりました。ちょっと前は3時ぐらいに寝ていたのですが最近は朝の7時とか9時に眠りにつくこともあります。

見事なまでの昼夜逆転生活ですね。

で、これはやばいと思い、私ひとりではどうにもできないからまた病院の手を借りようと思ったわけです。

自分を縛るものが何もないとここまで堕落した生活になるんですね。これはこれでいい経験になったのかもしれません。

病院はもちろん、発達障害のこともきちんと取り扱っているところでなければいけないので、発達障害支援センターに問い合わせて教えてもらいました。家から通いやすい範囲で2件教えてもらって、家から近く、紹介状がなくても大丈夫という方の病院に行ってみることにしました。

早速電話して、2週間後ぐらいに初診の予約を入れてもらいました。やっぱり初診の予約はしづらいですね。でも私は学生で時間があるからいいけど、仕事してる人だったら初診の枠と予定が合わない可能性もあるじゃないですか。精神科がもっと気軽に行けるところになるためにも、この問題はなんとかなるといいですね。(そもそも休みを取りづらいような会社の仕組みから改善すべきなのか…?)

電話対応をしてくれた人はすごく優しそうな感じだったけど、お医者さんも話しやすい人だといいなあ。生活が改善される希望があるという意味で少し楽しみですが(うーん、楽しみって言うと変だけど他になんて言ったらいいかわからない。待ち遠しい?)、また私とは合わない人だったらどうしようという不安もあります。

病院が合わなかったらよりよい生活へは遠い道のりになりますからね……

あ、あと、発達障害者支援センターにも相談の申し込みをしました。自分の特性の把握とその対処法を考えるのとか、医師や心理士さんよりも発達障害の専門(?)の人の方がうまくいきそうだなと思って。自分でやれたらいいんですけど、やっぱり難しいんですよね。宿題すらまともにこなせない人が自分の欠点と向き合うことなんて主体的にできると思います?

いや、一応自分でも本を買って読んではいるんですけど、自分の課題から逃げてしまうところとかピンポイントで私にもできそうなアドバイスをしてくれる本なんてなかなかありません。そして深層心理みたいな部分は人それぞれだから全て当てはまるわけでもありませんし。だったら自治体が用意してくれてる施設・制度に頼った方がいいかなと思うわけです。あれ?なんで言い訳がましいことべらべら書いているんだろう。

ま。てな感じで病院に行きます。できればそれまでに人生でのやらかしエピソードをまとめます。うん。自分のダメさ加減にすごい病みそう。頑張ります。

病院・支援センターともに行ってからも感想などまとめますね。できれば。元気とやる気があれば。需要があるかはわかりませんが。

ではこのへんで。読んでくださりありがとうございました。

無知はよくないけど恥ずべきなのは自分を疑わないこと

こんにちは。こまです。

私は昔のことで、どうでもいいことばかり覚えています。いや、大事なことも多少は覚えているはずですが大抵はくだらないことです。

遊んだときに友達が着ていた服とか、小学生のときにはまっていた遊びとか、リンカーンが口髭だかあご髭だかを伸ばし始めたのは女の子からその方がかっこいいと言われたからという(小学生の頃伝記で読んだ)エピソードとか。

フラッシュバックみたいな、ふと記憶がよみがえってきて苦い気持ちになることもよくあります。

まず、かなりしんどいのが「私なんて死んだほうがいいんだ」と言った友達に「じゃあ死ねば?」と言ったことです。小学生低学年のときだったかな。ほんとひどい。これは自分でつくったトラウマみたいなもんですね。言い訳をさせてもらうと、母親の受け売りでした。いますよね、「死にたいとか言う人ほど死なないんだから勝手に言わせとけ」みたいなことを平気で言ってしまう人。そのときは、私も母もそういう考え方でした。本当に後悔しているし、恥ずかしい。その子が死なないでくれたのがせめてもの救いです。

次に、「偏頭痛なんて思い込みで生まれるものでしょ」となんの根拠もなく思い込み、平気で友達にもそう主張したこと。それも小学生のころだったけど、「自分が経験したことないものは全部嘘」っていう本当に浅はかな考えでした。ちゃんと調べもしないでね。その後何かの本で「大気の状況で体調に変化が現れるのは当然のこと」というような文章を読んで初めて考えを改めました。それっぽい本じゃなくて目の前にいる人の話をきけよって感じですね。(その人の話が必ず正しいとは限らなくても)

うーん、今思いつくのはこの辺ですかね。

こどもは自己中心的で勝手な思い込みをしていて当たり前というような気もしますが、(俺が世界で一番強いぜとか本気で言う男の子なんてよくいるじゃないですか。)私の場合は人を傷つけてしまったという点で許されないものだと思っています。

「じゃあ死ねば?」って、私が本気で死にたいときに言われたら「うん。わかった。」って言って線路に飛び込んだかもしれません。少なくとも自傷はせずにいられなかったでしょうね。私がこんな言葉をぶつけた相手が自死を選んでしまっていたらと考えるとぞっとします。まあ、その子が死なないでくれたとしても傷を負わせたことには変わりないので許されることでもありませんね。

多分この文章を読んでくださった方の中には、「ありえない」「そんなひどいことが言えるなんて」「恥を知れ」なんていう風に思った人もいらっしゃるのではないでしょうか。

でも、最近のSNSでの誹謗中傷とか、全然話が通じてない口論とかもこんな感じじゃないですか?何も知らないけど知るべきとも思わず、ただ自分の頭にうかんだことをぶつける。そして相手の主張には聞く耳を持たない。というか理解しようとしない。どう揚げ足を取るかということだけを考えている。

うーん。もちろん、いつでも必ず正しい答えがあるわけではありません。相手が正しいとも自分が正しいとも言えない。それはいくら話し合ってもはっきりしないかもしれません。

でも、いつでも「自分の知らないことがあるのかもしれない」という姿勢を持つべきだと思うのです。人の話を聞くときも、人に意見を言うときも。

ああ、「俺はよくわからないけど」って前置きをしながらも結局わずかな知識と自分の思い込みでガチガチの意見をぶつけてくる人もいますけどね。いや、全然知識がないってわかってるなら話を聞くところから始めろよ。意見をするってことは自分のちゃちい持論にもそれなりの自信があるってことで、前置きなんて保険・建前でしかないでしょ。相手の話を聞くつもりないだろ。って突っ込みたくなります。まあ突っ込んでも自分を疑うなんて意識したことないみたいで同じようなことを何度も繰り返されますが。(すみません。最近そういう人とよく話していたもので。私情をはさみました。)

自分の軸をしっかり持っていて意見をズバズバ言える人はとてもかっこいいと思います。憧れます。

でもそれは、自分しか見えてない人とは違うと思うのです。自分の視点にとらわれず、いかに視点を変えて、自由な思考をするかということが大事だと思うのです。その際にはもちろん自分とは正反対の立場からも考えてみる必要があります。それは自分を疑うということです。とても難しいけど、(私もちゃんとできているとは言えません)そこから学べることは多いと思うのです。

自分の世界で凝縮された暴言ばかり吐く人が減りますように。

また、私もそういう人になりませんように。今あるそういう部分が減らせますように。

とうもろこしおいしい

こんばんは。こまです。

いやあ、梅雨も明けてあっっつい毎日で、すっかり夏ですね。

ということでしっかりとうもろこしにはまっている今日このごろ。

調理方法はシンプルに、スーパーの売り場に書いてあったとおり、皮を甘皮1枚を残す以外は全部はがして、ラップでくるんで600Wのレンジで5分。あ、ヒゲもはがしてます。

当たり前ですけどチンした直後はアッツアツですから、やけどしないように気をつけてくださいね。まじで熱いです。私はだいたい30分以上放置してから食べてます。

とうもろこし、去年までは全然食べてなかったんですけど、すごいもったいないことをした気分です。こんなに簡単に調理ができておいしいならもっとたくさん食べればよかった。

見た目も好きですね。鮮やかな黄色でプリプリの粒。匂いもいい。やわらかーい感じ。ほっとします。とうもろこしの香りの香水なんかあったらモテそうじゃないですか?すごい再現が難しそうだけど。そして売れないだろうけど。

なんの話だっけ?

ああ、季節のものを味わう幸せを思い出したっていう話でした。スーパーに出回るのなんか今だけですからね。あと1ヶ月もしたらきれいさっぱりいなくなっているのかしら。

あと最近はスイカも大好きです。大きいのが1/4〜1/6ぐらいのサイズに切られたやつを買ってひとりで食べてます。贅沢。ひとつ300〜400円ぐらいするからまじで贅沢だよな。

でも、うちにある一般的なスプーンだと汁が出てきちゃうんですよ。曲率が一定じゃないから、すくうときにやたら押しつぶされる部分が出てきちゃうんでしょうかね。スイカ用のスプーンを誰か作って売ってくれないかしら。球の一部を切り取った形なら最強でしょ。

一応「スイカ用スプーン」でググったら、グレープフルーツ用のスプーンとアイスクリームスプーンが出てきましたね。あとカットフルーツを彫刻的な芸術品に仕上げるためのもの。

うーん。アイスクリーム用のスプーンはほぼ球っぽいからありかなと思ったけど普通に食べづらいよね。やめよう。

イカのことは置いておいて、私が次に楽しみにしているのは……

ズバリ!いちじくです!

そろそろ出てきてくれてもいいよね?いちじくこそ4個で800円とかする?(去年までのうろ覚えな情報)高いけどおいしいから買っちゃうんですよね。あの優しい甘さとなんともいえない食感が好き。見た目もかわいくて好き。鮮やかなような渋いような微妙なかんじ。

生のいちじく食べたことないっていう人けっこう出会うけど、まじで一回食べてみてほしい。考えただけでおいしい。唯一無二ですよねあれは。(みんなそうだったわ)

ここで果物食べるのをやめたらお金の節約になるかも、とか私もたまに思いますよ。

でもさ、数百円ですんごい幸せとそれなりの栄養が買えるなら安くないですか?なんてったって引きこもりの私を買い物に引きずり出す力がありますからね。ふふ。

私は薬の副作用だかうつ病の症状だかであんまり食欲がなくて生きるのがつまらなかった時期があるから、食べることが楽しいっていう状況が何よりも嬉しい。食べることが好きって、すごく恵まれていると思います。体重管理は多少大変になるかもしれないけどね。

さて、そろそろさっきチンしたとうもろこしがいい具合に冷めてきているはずなのでここらへんで失礼します。さよなら〜。みなさんもそれぞれの夏を楽しめますように。

いい文章が書きたい

実は私、作家になりたいと思っています。心の片隅で。

特に信念とか志とか才能があるわけではないのですが、気づいたら憧れてました。きっかけは、「私が何時間も集中できるのは読書ぐらいかもしれない」と気づいたことです。

これはそのままの意味で、「好きなことじゃなくて得意なことを仕事にすると幸せになれる」っていう話をきいた時に思ったんです。

私の得意なことってなんだ?

話を聞くことは割と得意。でもそれを仕事にする、例えばカウンセラーになるなら大学に入り直して確か大学院までいかないといけないんですよね?それはきつい。

数学は好きだし同級生にはこまちゃん研究者とか向いてそうって言われるけど自分で勉強と向き合うことができないから論外。

映画は好き。YouTubeも好き。でも何時間も見続けると飽きる。好き嫌いあるし。

お、読書は?小学生のころは暇さえあれば読んで、中学高校と進むにつれてあんまり読まなくなってしまったけど、最近でも読み始めたら集中できる。気づいたら4時間も経ってた!てことはザラにある。(それで時間感覚なくなってタイムスリップをしたような気分になるのが好きです。)

ま、こんな単純な理由で作家目指してなれるもんなら誰も苦労しねーわ。ってかんじですけどね。読む側と書く側は違うし。何時間も文章を書き続けた経験はないので。

でも、よしもとばななさん(吉本ばななさんと書くべきなのかいつも悩む)、小川糸さん、瀬尾まいこさん、佐藤多佳子さん、いしいしんじさん、辻村深月さん、西加奈子さん……あったかい気持ちにさせてくれた人たちへの憧れがずっとあります。何度救われたことか。何度楽しませてもらったことか。今は動画の時代なのかもしれませんが、活字のよさはゆるがない。あ、湊かなえさんも尊敬してる。谷川俊太郎さんの詩も好き。

多分私は言葉とか文字がすごく好きなんですね。

小説を書いたこともないし、正直書ける気もしない。もし書けたところで応募する勇気があるかもわからない。

でも、憧れるのは自由じゃないですか?憧れるだけ、目指すと豪語するだけで何もしないのはかっこわるいかもしれないですけど。

こうやって自分の好きなことや憧れの気持ちを大事にしてちょっとずつ行動に移すのはとても素敵なことじゃないかと思うのです。ま、そんなこと言っても今はツイッターとこのブログでしか文章を書いてないし、明日にはもう全部やめてるかもしれないけど。

今こうやって思えるだけでなんだか得をした気分です。なんでだろう。ほかほかする。

これも作家さんのマジックかもしれませんね。私もいつかそんな文章を書けるようになりたい。

あ、正直なところ、数学科出身で作家になったらおもしろくね?なんて下心もあります。てへ。まず卒業できるかがあやしいけど。

あ、もちろん、印税で暮らしたいっていう下心もあります。あんまり働きたくない。ふふふ。

今日も頭はごちゃごちゃ

こんにちは。こまです。

今日もやるべきこと、やりたいこと、やりたくないこと、やらない方がいいこと、そういう判断が全然できなくて困っております。

頭の中が散らかっているんですよね、きっと。

本当は課題のレポートを書いたり卒業研究の勉強を進めたり、お母さんに手紙を書いて荷物を送ったりしなければならないんですね。なんだ、やるべきことはわかってんじゃん、と思われるかもしれません。いや確かにわかってるか。でも他にもいろいろあるんですよ。

まずもう夜だからお風呂に入らなきゃ。そして使ったお皿でシンクがいっぱいになってるから皿洗いをしなきゃ。(悪臭がただよい始めてて自分でもちょっと引くんだけど発達障害持ちの一人暮らしだったらあるあるですよね?てか誰でもありうるよね?)あとお風呂も汚れてきてるから洗った方がいいし、それならトイレ掃除もそろそろしなきゃ。ていうよりまず部屋の散らかりようは放置しておいていいのか?そしてこの前たくさん買ってそのまま読まないで積んである本はどうするの?また新しい本届いたよ?このままだとただひたすら積み上がっていくだけだよ?

こんなかんじで。今すぐにやらなきゃいけないわけじゃないものは永遠にそのままにしておく癖があるので、やるべきことはたまっていくんですよね。というか、一度たまると脳がフリーズして何にも手をつけられなくなりまたさらにやるべきことが増えていく、そして締め切りに間に合わなくなるという形でちょびっと減っていく、というような具合でしょうか。

悪循環。あくじゅんかん。こういうことをいうんでしょうね。

そんなこんなで混乱しすぎてまず頭を落ち着かせようと思ってこんなふうに文章を書いてるし。こんなブログ別に誰も待ってないし永遠に読まれない可能性もあるから明らかに優先順位は低いんだけどね。まったく。

でもね、思ったんですよ。私がこうして混乱している頭の中をそのまま文章にして残しておけば、成長したときに「え、私ってこんなレベルで悩んでたの?」って、自分の成長を実感できるかなって。

実は私、半年ぐらい前まで薬(ストラテラコンサータ)を飲んでいたのですが、あんまり効果を実感できなくて飲むのをやめてしまったんです。(本当は抗うつ剤をやめたくて、でも病院に通ってるかぎりやめさせてもらえないから病院に通うこと自体をやめたんですけど、効果をあまり感じられなかったのも事実です。いや担当医にちゃんと相談しろよって話なんですけどね。勝手な断薬は本当にやめたほうがいいですよ。純粋につらかった。)

でもそれって本当に効果がなかったのかと問われてもちゃんと答えられるものじゃないと思うんです。だって飲んでる場合と飲んでない場合を見比べることができないから。飲んでて調子よくなったと思っても、それは生理が終わったばっかりだからとか、併発してたうつ病がおちついてきたからとか、他の要素のせいかもしれないわけで。逆に、うっかりミスしまくるし遅刻もしたから効果ないじゃん!なんて思っても、実は薬を飲んでいなかったらもっとひどいやらかしをしていたかもしれない。

困り具合、楽具合も数値化したり目で確認したりできるものじゃないですしね。

本当にやっかいですよね。とくに良くなった場合ってすぐそれに慣れて「こんなん元々できたわ」とか思って成長を見逃しそうですし。実際多少はあったと思いますし。

ということで、今の薬を飲んでいない自分の頭の中を記録しておこうと思ったのです。そして、薬の効果が現れているはずのときに書いた文章と読み比べる。文章を書くってことは意外と体力いりますし、構成や展開の仕方も大事じゃないですか。今勢い任せで書いてるのが薬で抑えられたらもっと落ち着いて読みやすい文章になるんじゃないか、なんて思うのです。

ここで心配が一つ。薬を飲み始めたら文章を書かなくなるんじゃないかということ。

脳の多動って、話を展開させるのには便利だから私は今全然苦労しないでこの文章を書いてます。最近更新した記事も(記事なんて読んでいいかわからない駄文ですが)多分二千から三千文字は書いてるけど、一気に10分か20分くらいで書き上げてます。

それが、薬を飲んで多動が落ち着いたら書けなくなる可能性もあります。よね?一応書けても、勢い任せに更新することができなくて数日うじうじして結局気に入らなくて公開まで至らないかもしれない。そもそも、ストラテラを飲むとあらゆる欲求が薄まるように感じるという声もありますから(私も食欲がなくなってだいぶ痩せました)、文章を書きたいという気持ちすらなくなるかもしれません。(食欲がなくなるってことは私の生きがいがなくなるってことからつらいんだよなあ。)

まあ、ね、書かなくなったら衝動に負けて自分のやるべきことから逃げることが減ったとも言えるのかもしれないから、それはそれで効いてる証拠なのかもしれないけど、寂しいですね。

そして今は転院するか前行ってた病院に通い続けるかで悩んでいるのですぐに薬を飲み始めるわけでもないんですけど。今の自分を記録するというのはなかなかいいことだなあと思いまして。(あれ?なんの話だっけ?)

よくわからなくなってきたのでこのへんで。読んでくださりありがとうございました。

私が悪口を言えない理由

こんにちは。こまです。

悪口・陰口って言う人はすごく言うし言わない人は全く言わないっていうイメージありませんか?(私の勝手な思い込みかしら?)

私はどうやら後者とされることが多いようなのですが自分で悪口を言わない人になろうと意識しているわけではなく、なぜそう思われるのかずっと不思議に思っていました。ぼんやり考えていたら「私は悪口を言わないのではなく言えないのだ」ということとその理由がわかった気がしたのでここでまとめます。

理由1

ずばり、自分に自信がないから。です。自信がないというか、卑屈になってるというべきかもしれません。

悪口を言いたくなることはあります。もちろん。世の中なんて理不尽なことで溢れてますし私はマイノリティに属することもありますし他人と考え方が違うのは当たり前ですからね。

でも、「〇〇さんに嫌味言われた!」とか、いざ友達や同僚に言おうとするとそこでブレーキがかかってしまうのです。

「この人も〇〇さんと関わりがある。ここで私が変なことを言ったら今後変に気を使わせてやりづらくなるんじゃないか?もしくはこの人(聞き手)の中で〇〇さんの印象が悪くなってしまうかもしれないが、私にそんな権利があるのか?」

という思考になります。自分が他の人たちの関係に影響を及ぼすということが怖いんですね。その人にはその人の人生がありますから。(壮大なことを言ってみたかった。)

理由2

もう一つの理由は、「かっこわるい人になりたくないから」だと思います。

なんじゃそりゃってなるかもしれないので説明しますね。(これが今日書きたかったことです。)

これは、悪口を言う人をかっこわるいと思っているということではありません。むしろ嫌なことははっきり嫌と主張できる人は潔くていいとすら思います。(本人のいないところで言うのはよくありませんが、自分の意志をしっかり持ってて発言できるというところは強みだと思うのです。)

問題は、言った後です。

例えば、「あの人がこうしろって言うからその通りにしたのに後になって上の人から怒られたんだけど!なんなのあの人指示の出し方甘くない?」と悪口を言った人がいたとします。そういうときに考えてしまうのです。

「そう言うあなたは自分の確認不足が原因だとは思わないのか?頼んできた人にも上の人にももっと相談や報告をしながら進めていけばそのミスは防げたのでは?」

「あなたは常に完璧な指示を出しているというのか?本気?この前私はあなたのせいでひどい目にあいましたけど???」

というようなことを。つまり、矛盾を指摘するというか、揚げ足をとるということですね。

自分は言いたい放題なのに実際は自分自身も文句の内容と同じことをしている、という人が一番かっこ悪いと思うのです。言ってることとやってることがちぐはぐ、っていうか、自分のことができてから言えよってなるやつ。

そして悪口を言うとそういう沼にハマる可能性が高まるじゃないですか。完璧な人なんていませんからね。だから私は悪口を言って他の人から自分の欠点を指摘されるのが(直接言われなくても思われるだけで)嫌だから怖くて何も言えなくなる。ということなのだと思います。

うーん。文章が下手すぎてうまく伝わっていないかもしれませんが……

多分心のどこかで完璧な人を目指してしまっているのでしょう。矛盾のない人なんていないのにね。(多分。)あーよくないですよ、完璧主義は。

理由3

あともう一つあります。それは「自分が悪口を言われたくないから」です。

小学生みたいですね。でも本当にこれも結構大きいと思います。だって、悪口を言ってる人って悪口を言われるようになるじゃないですか。(勝手な思い込み?)

誰かが陰口言ってるのを聞いて「あーこの人はまた別の場所で私のことも悪く言ってるのかな」って思ったことありませんか?ありますよね?

それで印象が下がる。人のことを大事に思ってない人ならこっちも大事にしなくていいかなっていうふうに思われる。で、悪口を言われる。

このスパイラルけっこうあると思うんです。まあ普通に陰口言ってるのが本人にバレたらその瞬間からその人は敵になりますしね。

悪口言われる人は自分が無意識のうちに言ってないか振り返ってみてください。私の前の職場の先輩はこのタイプでした。上司でも部下でも関係なく、誰にでもすぐ悪口を言う。私もたくさん言われてましたね。(私はやりかえさなかったですよ、たまーに同僚にはこぼしてましたけど。)そしてその人は先輩から嫌われていたように思います。まあ他にもすぐキレるとか言ったことを言ってないと主張するとか色々問題はありましたけど……(悪口なんかちっとも言わないのに妬みで言われる人のことはわかりません。ごめんなさい。)

まとめ

私は、悪口は言ってもいいと思います。え?この話の流れで?って感じですけど。

だって嫌なことは嫌だもん。うざい人はうざいもん。発散しないで自分の中に溜め込んでいたらいつか爆発しますよ。私ももっとうまく発散できる人だったら精神病まないで済んだんじゃないかなって思うことありますし。

いや、もちろん本人に面と向かって言えたら最高ですけど。そりゃあみんなそうすべきだとは思ってるんじゃないですか?でも現実的には無理なことが多いじゃないですか。パワハラ上司で何をやり返されるかわからないとか、意見したところで関係の悪化しか見込めないとか、まるで聞く耳を持っていないとか、事情は色々あります。それならもう諦めて、自分を守るために多少の陰口を言ってもいいんじゃないかと思うのです。

ただ、もちろん言う相手は気をつけましょう。どう頑張っても本人には伝わらないような場で言うべきだと思います。そういう場がないならツイッターがいいですよ。適当にアカウント作ってただただ思い浮かんだ悪口を流す。たとえフォロワーが0人でも、自分の中に抑え込んでいるよりはずっと楽になります。本当におすすめです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。ではみなさんお元気で。